日本人と歴は切っても切れない関係なのですね。ワクワク♬

札幌市西区で、あなたの「コマッタ」を「ヨカッタ」に変えるアイドウです。

 

東京オリンピックがいよいよ近づいてきましたが、みなさま如何お過ごしでしょうか。

選手団の中にコロナの陽性反応者が出たとか、作曲家の過去に問題発言があったとか、

ここに来てもまだまだ、ザワついていますけど。

 

でもまあ、私たち一般人としては、TVの前で楽しみにしてますよ!!((o(´∀`)o))ワクワク

と言ったところです(無責任で申し訳ありません)

 

さて、オリンピックの影響、と言う点で、地味に大きかったのは、カレンダーの変更…です。

 

当初19日が祝日だったのが、オリンピックの所為で平日になりました。

出勤日と休日が変わって、とまどった方もいらっしゃったんじゃないでしょうか。

カレンダー(暦)の歴史は、意外に古く、

大化の改新(645年)には、もう陰陽寮が暦の作成にあたっていたという記述があります。

そして、平安時代の貞観4(862)年以降は、中国の宣明暦をもとに、毎年の暦を作成していました。

ところが江戸時代に入ると、暦と実際の天の運行(日蝕や月蝕、冬至・夏至など)に「ずれ」が生じていると指摘されるようになりました。

 

よく考えてみれば、そりゃそーです。

宣明暦は中国の暦です。しかも江戸の当時で考えて800年以上も昔の暦法です。

そこで、日本人による初めての暦法が渋川春海によって作成され、改暦されたのが貞享2(1685)年のことです。

 

この渋川春海を主人公にして、改暦のいきさつを小説にしたのが、冲方丁・著「天地明察」です。

(その後、漫画にもなったし、映画にもなりましたね!)

 

そもそも渋川春海は、幕府碁方…今で言う棋士でした。

ところが、家業の碁もさることながら、それ以上に算術にのめり込み、測量や暦学・天文暦学にも造詣が深かった春海は、

20代にして、天体観測に基づいて緯度・経度を計測する旅に同行を命ぜられます。

そしてそれが、春海の一生を賭した大仕事、「改暦」への第一歩となったのでした。

 

言わずもがなの事ですが、「天地明察」は小説ですので、総てのエピソードが史実に基いている訳ではありません。

(史実と違うよ!と言うご指摘は、こちらを参考にして下さい)

 

和算の大家と言われた関孝和との算術勝負とか

観測隊の隊長格であった建部昌明や伊藤重孝といった年配者が、少年のように夢中になって観測予測をしている様とか

 

それでも、暦や算術の「なぞ」に、嬉々として挑んでいる渋川春海をはじめとした登場人物たちの姿に、こちらもワクワクを止められません。

目をキラッキラさせて夢中になって取り組んでいる様子が目に浮かぶようです。

 

「暦」について考えるとき、いつもこの光景を思い出します。

そして、自分もワクワクして仕事に臨んでいるかな~?と振り返ってみるのでした。

 

 

 

 

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